第1話
第一話 五時半の風
毎朝、五時半に目が覚める。寝坊したことがない。朝の運動場は、街全体がまだ眠っているような静けさに包まれていた。
シューズを履き、軽くストレッチをしてから、いつもの道を走り始める。外灯はもう消えかかっていて、足元は薄紫色に染まっていた。
何年も続けている習慣だ。仕事が始まる前の三十分。この時間だけは、誰にも邪魔されない。スマートフォンも持たない。音楽も聴かない。ただ、自分の呼吸と足音と、心臓の鼓動だけが友達だ。
走っていると、昨日のこまごまとした悔しさや失敗が、汗と一緒に流れていくような気がする。別に大したアスリートではない。記録も出していない。だから誰かに自慢することもない。ただ、この時間がなくなったら、自分はどうなるだろう。そう考えると、続けずにはいられなかった。
数周目に入ると、東の空が薄く明け始めた。同じ時刻、同じ場所で、毎日同じことをしていると、季節の移ろいがよく見える。今朝は秋の冷たさがまだ空気に残っていた。
ベンチに座り、呼吸が整うまで動かない。心臓がゆっくりと落ち着いていく。この数分間が好きだ。運動後の静寂と、これから始まる日常の間の、狭い隙間。その狭さが、心地よかった。
やがて、街から音が返ってくるようになった。車の音、自動販売機の明かり、遠くの駅からのアナウンス。日常が呼吸を始めたのだ。
シューズを脱ぎ、運動場を後にする。シャワーを浴びて、朝食を用意して、仕事の準備をする。いつもの動き。いつもの朝。でも、その前に、必ずこの三十分がある。それだけで充分だ。