第8話
余白のある日々
段ボール箱の中身を改めて眺めた。母の弁当箱、手紙、古いアルバム、使わなくなった食器。かつての私なら、すべてを完璧に分類していただろう。何を残し、何を手放すか。その判断に何時間も費やしていただろう。
でも今、私は異なる視点を持っていた。
弁当箱を毎日持ち歩くようになって三週間が経つ。昼休みに同僚と一緒に食べることも増えた。母の話をすることもある。その度に、弁当箱は単なる思い出の入れ物ではなく、現在を生きる私の一部になっていることに気づく。
手紙は何通か読み返した。全部ではない。時々、気の向いた時に。その時々で、母の言葉が違う意味を持つ。完璧に保存すること、完璧に忘れること。どちらも、実は同じ逃げ方だったのだと思う。
アルバムの何枚かは、部屋に飾ることにした。額に入れて、壁に。毎日目にすることで、失われた時間ではなく、続いている時間として感じられるようになった。
使わない食器のいくつかは、友人にあげた。彼女が喜ぶ姿を見ることで、物が新しい物語を持つ瞬間を感じた。手放すことは、失うことではなく、次へ託すことなのだと。
そして残したもの、手放したもの。どちらも、私の選択。完璧さではなく、選ぶという行為そのものが、生きることなのだと気づいた。
部屋は以前ほど整理されていない。でも息苦しくない。段ボール箱もまだ半分ほど残っている。それでいい。今ここで、私は決める必要がない。物を手放すように、時間も手放す。ゆっくりと、自分のペースで。
窓の外は相変わらず、都会の片隅。でも、その景色が柔らかく見える。完璧に整理された生活ではなく、現在進行形の自分を生きる中で、初めて余白が見えた。その余白に、時間が流れている。母の時間も、私の時間も、これからの時間も。すべてが繋がり、重なり、新しい物語を作り始めている。
(完)
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