余白を選ぶ

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第6話

判断の根を掘る

いか、という気づき。

それは、ある種の解放感をもたらした。同時に、新しい問い立てをも生み出していた。

自分が「捨てることへの罪悪感」を感じているのは、実は荷物のせいではなく、その荷物に付与してきた「意味」のせいなのではないか。親からの言葉が、物に価値を被せていて、その価値を手放すことが「親への背信」のように感じられていたのではないか。

しかし、それは本当の親の言葉なのか。あるいは、自分が記憶のなかで増幅させてきた親の声なのか。

床に座ったまま、ひとつの箱を手に取った。中には、もう十年以上使っていない食器類が入っていた。実用性で判断するなら、捨てることに躊躇う理由はない。だが手を止めてしまう。

なぜだろう。

その食器は、親が子どもの頃にくれたものだった。不要だという判断と、感謝を失いたくないという感情が、頭のなかで何度も衝突する。

そのとき、別の視点がよぎった。もし親がここにいたら、十年も使わない食器を持ち続けている自分を、喜ぶだろうか。それとも、「使いなさい」と促すだろうか。あるいは「好きにしなさい」と言うだろうか。

親の言葉は、確かに昔は愛情だったのかもしれない。だが、今、その言葉が自分の選択を縛っているのなら。その言葉そのものを、問い直す必要があるのではないか。

朝日は、さらに部屋を明るくしていた。床の上の箱たちも、夜のうちの圧迫感とは別の姿を見せ始めていた。

それは「捨てるべき荷物」ではなく、「自分がどう生きるかを決める契機」に見えてきた。

続きはまもなく

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