眠りの処方箋

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第4話

測定できない朝

もしBさんの体の重さが、脳波では捉えられない何かの信号だとしたら。もし、その信号こそが、彼にとって本当の「眠り」の必要条件なのだとしたら。

翌週、私はBさんに新しい質問をした。「眠ったと感じる朝と、そうでない朝。何が違うと思いますか」

Bさんは少し考えてから答えた。「難しいですね。ただ…眠ったと感じる朝は、夢をうっすら覚えていることが多い気がします。昨日の朝も、何か話していた人がいる夢を見た。でも検査結果には何も出ていなかったから、きっと気のせいなんでしょう」

気のせい。その言葉が引っかかった。

患者たちは何度も医者に「気のせいではない」と感じるのだ。検査には映らない疲労感。測定できない倦怠感。数値では説明のつかない体の違和感。それらが「気のせい」と分類されるたびに、彼らは自分の体から少しずつ離れていく。

その夜、私は新しい仮説を立てた。科学が睡眠を解体し、その部品ひとつひとつを検証する過程で、統合された全体としての「眠り」を見失ってはいないか。脳波が示す深睡眠は、ただの部品に過ぎず、人間が必要としているのは、その部品がどう組み合わさるか。どの瞬間に何が起こるか。その動的なプロセス全体ではないか。

翌朝、私は自分のデータを手に、同僚の神経生理学者・坂下のもとを訪ねた。彼女は十年来、睡眠段階の微細な変化を追い続けている。

「坂下、ひとつ聞きたいことがある。もし患者の夢見の有無が、その人の『眠った感覚』を左右しているとしたら」

坂下は眉をひそめた。「夢は測定が難しい。本人の報告に頼るしかない。科学的根拠に乏しい」

「わかっている。だからこそ、聞くんだ。もし、その測定できない部分にこそ、患者たちが求めている何かがあるとしたら」

そのとき、初めて坂下が私の言葉に耳を傾けたように見えた。

続きはまもなく

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