眠りの処方箋

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第3話

「数値」と「感覚」のあいだで

科学は睡眠の構造を明らかにしたが、その過程で何かを見失ってはいないか。

その夜、私は研究室に残った。Bさんのデータを改めて眺める。脳波、筋電図、眼球運動、酸素飽和度。すべてが「正常」を示唆していた。だが彼の「眠った感じがしない」という訴えは、これらの数値では説明できない。

私は自分の睡眠記録を遡った。昨日の私も、七時間ほど眠っている。深睡眠の比率も基準値内だ。では私は充分に眠ったと感じているか。

正直に答えれば、そうではない時がある。

研究者としての私は、これを「主観と客観の乖離」と分類する。しかし患者としての私は、その乖離そのものが現実だと知っている。朝、体が重いのは、脳波チャートの中には映らない。

パソコンの画面をスクロールしていると、四年前の論文が目に止まった。睡眠の「質」を定義する研究だ。当時、私もこの議論に参加していた。結論は、睡眠の質とは「構造の最適性」であり、それは測定可能であるべき、というものだった。

それは正しい。だが、不完全でもある。

私が見落としていたのは、おそらくこういうことだ。患者たちが求めている「眠り」と、医学が提供できる「睡眠」は、同じ言葉でありながら別の現象かもしれない。

看護師が次の患者を促したとき、私の頭には新しい質問が浮かんでいた。もしBさんの体の重さが、脳波では捉えられない何かの信号だとしたら。もし、その信号こそが、彼にとって本当に必要な情報だとしたら。

私は明日、Bさんに別の角度から話を聞いてみようと決めた。仕事のこと、人間関係のこと、朝起きたときに感じる「重さ」がいつから始まったのか。データシートには書かれない、生活の中での文脈を。

研究者の私は、患者の言葉にもっと耳を傾ける必要がある。その先に、科学では届かない治療の道があるのかもしれない。

続きはまもなく

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