第5話
第5話 空白の意味
箱の中身をすべて出し終わったのは、夜の十時を過ぎていた。
主人公は床に座り、周囲に広がった「かつての自分」を眺めた。工芸用の糸、未完成の刺繍枠、読みかけのまま三年放置された本。どれもが、確かに自分の手で選び、大事に保管してきたものだ。
けれど、視線を落とした時に気づいたことがある。これらが「使われなかった」のではなく、むしろ「どう使うか忘れてしまった」のだと。
古い雑誌の切り抜きを手に取った。色褪せた紙には、当時の自分が夢見た何かが写っている。それが何だったのか、思い出そうとしても、輪郭がぼやけている。大事な記憶なのに。
新しい部屋は、前の部屋より二畳小さい。限られた空間に、これらすべてを持ち込むことはできない。そしてそれは、悪いことではないと感じ始めていた。
主人公は立ち上がり、ごみ袋を手にした。何年も迷っていた判断が、この瞬間ようやく形になる。処分するもの、売るもの、寄付するもの。選別の過程で、はっきりした感覚が生まれていた。
―自分は、変わったのだ。
昨日の自分と今日の自分は違う。だから、かつて大事だったものが、今も大事とは限らない。その当たり前のことを、三度の引っ越しを経て、やっと納得できた。
ベッドに寝転んで、天井を見つめた。明日から、新しい部屋での生活が始まる。空白が増える分、何かが生まれるかもしれない。それが何なのか、まだ分からない。
けれど今は、その不確かさが、悪くないような気がした。
続きはまもなく
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