引き算の日々

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第5話

削ぎ落とされたあとに

読みかけの本が四冊。以前なら十冊、二十冊と積み上がっていたものだ。なぜ今、四冊なのか。理由を考えると、それは単純だった。完結させることの喜びを知ったからだ。

スマートフォンがあった頃、本を読み始めても、通知が気になって中断した。再開するまでに時間がかかり、物語の流れを忘れる。だから何冊も同時進行で、どれも終わらない。そうした状態が当たり前だと思っていた。

金曜の夜。その週、読み終えた本が一冊あった。最後のページを閉じた瞬間、妙な満足感が胸に広がった。全てを読了した、という単純な達成感。これまで、いつこんなことを感じたのか思い出せない。

翌朝、その本を本棚に戻す。すると、新しい本を手に取る。前より、この行為が丁寧に感じられた。本の背を読む。中身を確認する。今の自分に、この本が必要か。そう問いかけてから、読み始めるようになっていた。

会社では、別の変化が起きていた。会議で資料を渡されても、スマートフォンで撮影する同僚たちと違い、自分はメモ帳にペンで書き込む。その手書きの行為の中で、脳が別のことを考え始めていた。資料に書かれていないことに気づく。疑問が浮かぶ。それを口にすると、上司から「いい質問だな」と言われた。

これも新しい感覚だった。スマートフォンに意識を分散させているときは、こんな思考は生まれていなかった。

日曜日。部屋の片隅に、かつての自分を象徴する物が残っていることに気づいた。スマートフォンの充電器だ。もう使うことのない器具。捨てるべきか、保管すべきか。手に取ってみると、その重さが珍しく感じられた。

これまでの人生は、足し算だと思っていた。新しい機能、新しいアプリ、新しい情報。全てを取り込むことで、自分が豊かになるのだと。だが今、別の可能性が見え始めている。削ぎ落とすことで、初めて見える何かがあるのではないか。

その夜、親からまた電話がかかってきた。今度は天気の話だった。こんなことで電話をする。それは、かつての自分には理解できない行為だったかもしれない。

続きはまもなく

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