余白のある日々

3/3

3

箱の中の問い

段ボール箱との生活は、思いのほか対話的だった。

朝、出勤前に箱を見る。昨日と同じ位置に、同じものたちが詰まっている。視線が交わる度に、無言の問いが立ち上る。「これ、本当にいるのか」。その問いに、明確な答えが返ってこないことが、だんだん心地よくなっていた。

以前なら、迷いは不快だった。早く決めたい、結論を出したいという焦燥感があった。でも今は違う。この迷いの状態そのものが、自分に何かを教えているような気がしていた。

仕事の休憩時間、机の引き出しから出した弁当箱を見ながら、ふと思った。母が使っていた古いお弁当箱を、先週箱の中に入れたんだ。実家を出るとき、「いつか使うかもしれない」と持ってきたものだ。十年以上、未開封のまま。でも最近、その弁当箱のことが浮かぶようになった。使っていないのに、手放せない理由が何なのか、改めて考えるようになったのだ。

帰宅後、いつもの時間。床に映る夕日の中で、部屋の隅の箱を眺める。そこには、判断を保留中のものたちが静かに積まれている。人形、使わなくなった調理器具、学生時代のノート。昔の自分が必要だと思ったものたち。今の自分は、それらをどう見ているのか。

手を伸ばしかけて、やめた。もう数日、このままにしておこう。箱の存在を忘れないために。物と一緒に、時間が重ねられていく感覚。その中で、何かが少しずつ変わっていく。部屋の空気が、もう一段階、別の表情を帯びようとしていた。

続きはまもなく

目次

コメント