第2話
締切の向こう側
打ち合わせ室に向かう廊下で、田中さんは続きを話さなかった。クライアントとの打ち合わせは予想外に長引き、僕は田中さんの言いかけの言葉を何度も思い出した。締切は敵じゃなくて何なのか。そんなこと考える余裕すら、これまでなかった。
打ち合わせから戻ると、昼休憩の時間になっていた。田中さんは自分のデスクで弁当を食べていた。
「あ、来た。ちょうどいい。一緒に食べよう」
僕は迷った。昼休憩は資料修正に充てるつもりだったが、何か違う空気を感じた。素直に隣の椅子に座った。
「さっきの話、気になってる?」田中さんは笑った。「君の顔に書いてある」
僕は小さく頷いた。
「実はね。締切って、自分たちの考える時間をくれるものなんだ。無限に時間があると、人間って決められなくなる。この方針でいいのか、この表現でいいのか、ずっと迷ったままになる。でも締切がある。そうすると『ここまでの情報で、最善を尽くす』って決断できるんだ」
田中さんはフォークで野菜を刺しながら続けた。
「君が震えてるのはね。締切に追われてるんじゃなくて、自分の選択を信じられてないんだと思う。だから常に『完璧じゃないかも』って怖い。でも仕事ってそういうもんだよ。完璧な資料なんて、この世にない。あるのは『その時点での最善』だけだ」
その言葉は、僕の胸に落ちた。けれど同時に、疑問も生まれた。では自分は今、何に怯えているのか。完璧さか。それとも、選択したものが否定されることか。
「でもさ」僕は聞いた。「もし『最善』が通用しなかったら?修正が入ったら?」
「入るよ。何度も」田中さんは当然のように言った。「だからこそ、その時も締切がある。また『そこまでの最善』を尽くす。その繰り返しなんだ」
その瞬間、オフィスの時計が針を進める音が聞こえた気がした。
続きはまもなく
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