第3話
空白が教えてくれたこと
考えてみると、私たちは「記録」に完全性を求めすぎているのかもしれない。
食事記録の空白について、最初は「書き忘れだろう」と軽く考えていた。でも毎日見返していると、その曖昧さが気になり始める。特に気になるのは、曜日や時間帯に偏りがあることだ。同じ曜日、同じ時間帯に「何か」が抜けている。
記録をつけるまで、こうした空白に気づくことはなかった。気づかなければ、気にならない。だから今まで気にならなかったんだろう。
ある朝、スマホを開いて先週の記録を眺めていたら、ふと思った。この空白は、実は私自身が「何か」から目を背けている可能性もあるんじゃないか、と。完全に忘れてしまった日、本当は食べたのに記録に残さなかった日。その理由を問う必要があるのか、ないのか。
医者に「生活習慣を気をつけてください」と言われたのは、半年前のことだ。その時の私は、言葉の意味を十分に理解していなかった。「気をつける」って何をどう気をつけるのか、具体像がなかったのだ。
でも今は違う。記録という鏡を毎日覗き込むことで、自分の行動が浮き彫りになり始めた。朝に余裕があると、その日全体が整う。反対に、朝を疎かにすると、夜に帳尻を合わせようとしている。それは体が「バランス」を求めているサイン。あるいは、心が求めているサイン。
記録の空白も同じだ。完全性の欠落ではなく、自分自身の「何か」への問いかけ。
そう気づいた時、面白いことが起こった。空白を埋めようとする代わりに、その空白に寄り添ってみることにしたのだ。「この日、何か気になることがあった?」と、自分に問いかけながら。
すると、ぼんやりとしていた日々が、ゆっくりと輪郭を持ち始めたように感じた。
続きはまもなく
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