第5話
新しい野菜と、古いメモ
その野菜を刻みながら、ふと思い出した。メモの山の中に、もう読み返していないものがあるのではないかということだ。
引き出しを改めて開けると、一番下に、色褪せた紙がいくつか積まれていた。筆跡が自分のものだけではない。引っ越してくる前、実家にいた頃の母親の字も混ざっている。
「昆布は前の晩から水に浸す」「味噌は沸騰させると香りが飛ぶ」
それらは、自分がメモを始める前の、もっと古い時代の言葉だった。小学生の頃、母親が台所の壁に貼り出していたものかもしれない。その時は、何の意味も持たなかった指示が、今になって目の前にある。
自分は一人で試行錯誤を繰り返していると思っていた。けれど、この古いメモを見ると、自分の試行錯誤は、誰かの経験の上に、知らず知らずのうちに立っていたのではないかという気がしてくる。
メモの群れを眺めていると、次第に、それらが一本の線でつながっているように見えてきた。古い字から新しい字へ。実家の台所から今の台所へ。そして、今日のこの新しい野菜まで。
新しい紙を用意する手が、少し止まった。
もしかして、ここに加えるべきメモは、自分のためだけのものではなく、誰かの次の時代へ向けたものかもしれない。そんなことを考えるのは、おこがましいだろうか。
いや、おこがましくなんかない。朝日が台所に差し込む中で、新しい野菜の香りが湯気に混ざり始めた。その時、その迷いの中にこそ、物語は続いていくのだと感じた。
続きはまもなく
目次