第3話
積もった理由
その夜、田中は部屋の片隅にある段ボール箱を引き出した。中身は、数年前に買った調理器具だ。新しい料理に挑戦しようと思ったあの時期。結局、数回使っただけで箱に戻されたままになっていた。
本を読んでいるときと、実際に物を前にしたときでは、感覚が異なることに気づく。読んでいる間は「そうか、いらないものなのか」と納得できるのだが、手に取ると迷いが生じる。もしかして、またいつか使うかもしれない。捨てるのは、もったいない気がする。
その葛藤の中で、田中は考え込んだ。著者は、こうした迷いとどう向き合ったのだろうか。本には「必要か必要でないか」という判断基準が書かれていたが、その判断を下すまでの心の動きについては、詳しく触れられていなかった。
翌日の昼休み、田中は再び本を開いた。今度は、著者が物を手放すときに感じた感情について書かれたページを探した。そこには、「迷うこと自体が、その物との関係性を示している」という一文があった。
迷う。その言葉が、妙に胸に落ちた。
調理器具を眺める。確かに、今の自分は迷っている。それはつまり、この物が現在の生活に必要とは思えていないということではないだろうか。必要であれば、迷わず使っているはずだ。
仕事に戻る前に、田中は静かにその箱をクローゼットの奥に戻した。今すぐ捨てる決心はできない。しかし、この迷いという感覚が、何かを教えてくれている気がした。
帰路の電車の中で、田中は窓に映る自分の顔を見つめた。昨日までと同じ顔のはずなのに、何かが変わり始めている。その変化は、誰の目にも映らないほど小さなものだった。だからこそ、田中自身にしか気づけない。
明日の休みの日に、もう一度部屋と向き合ってみようか。その程度の決意だったが、それでも十分だった。
続きはまもなく
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