第8話
第8話 山の言葉
返信を打ち始めたとき、僕は新しいザックを背負ったままだった。
「八ヶ岳の赤岳に行きます。来週の日曜日です」
すぐに返事が来た。「いいね。天気予報、装備リスト、コース確認。この三つを毎日見直してくる。それと、足の爪を切っておくこと」
指示は細かかった。けれど今の僕には、その細かさが信頼に感じられた。
登山用品店での経験を思い出す。ザックを背負い、店員の説明を聞きながら、僕は気づいていた。道具選びとは、単に商品を選ぶことではなく、山という未知に向き合う覚悟を、一つ一つ形にしていく作業だということに。
バックパックの背面、肩ベルトの位置、腰ベルトの硬さ。これらすべてが、山での安全と判断へ繋がっている。田中さんが言った「道具選びは山での判断力の入口」という言葉の意味が、今、はっきり見えた。
赤岳へのコースを広げたスマートフォンの画面を見つめる。高さ、距離、危険箇所。紙地図も手元にある。
完璧な準備はできないだろう。だが、できることを丁寧に積み重ねることはできる。その積み重ねそのものが、山靴が語ることなのだ。
足元に視線を落とす。登山靴の紐を、もう一度、しっかり結び直した。
(完)
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