第8話
第8話 データの向こう側
月曜の会議室は、いつもより多くの人間で満たされていた。
主人公は資料を配りながら、自分の声の震えに気づいた。提示するグラフ、数字、結論。すべてが正確だ。だが、そこに至るまでの道筋には、選別と省略があった。
「このデータは、複数の解釈が可能です」
会議室が静まった。主人公は続けた。
「数字は正しいですが、それが示すものは一つではありません。僕たちが強調した因果関係は、実は相関に過ぎないかもしれない。経営判断の前に、その点を明確にすべきではないでしょうか」
課長の顔は動かなかった。役員たちは視線を交わす。誰かが咳払いをした。
予想された沈黙が続く。主人公は、この瞬間が自分のキャリアの分水嶺だと感じていた。佐藤と同じ道を歩むのか、それとも。
役員の一人が身を乗り出した。
「つまり、どういうことだ。判断を保留しろということか」
「いいえ。判断は必要です。ただ、前提条件を共有したうえで、です」
主人公は資料を指した。
「ここに三つの解釈を示しました。どれが真実かは、データだけでは決まりません。現場の実感、過去の経験、市場の動き。そうした多角的な情報と合わせて、初めて判断に説得力が生まれる。それが、データ分析者の役割だと思います」
会議室に、別の種類の沈黙が生まれた。検討の沈黙だった。
その後、議論は二時間続いた。反発もあったが、質問も増えた。主人公は、自分が何かを示せたのではなく、問い直す空間を作ったのだと気づいた。
会議から一週間後、課長が声をかけた。
「君の提案、経営陣が気に入ったんだ。データ検証チームを立ち上げるそうだ。リーダーをやらないか」
主人公は、課長の表情を見た。そこに警告はなく、むしろ納得があった。
「佐藤は正しかった。だが、伝え方が一歩足りなかった。君は、その一歩を踏み出せた」
主人公は、自分が佐藤でもなく、課長でもなく、新しい立場に立ったのだと感じた。
数字は嘘をつかない。だが、数字の使い手は、常に選択を迫られる。その選択こそが、真実と虚構の境界線なのだ。
主人公は新しいチームの机に向かった。最初のレポートのタイトルは、既に決まっていた。
『データが示さないもの』
(完)
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