第8話
朝練の時間 第8話 二人の距離
己が何か言わなければいけない気がした。
あと数周。そう考えながら走っていた。背後の足音は相変わらず一定のペースで続き、自分たちはまだ二人きりだった。やがて来る日常の前に、何かが終わるような予感がある。その予感に応えるには、言葉が必要だった。
十六周目。自分は呼吸のリズムを少しだけ変えた。意図的に、相手に気付かせるように。背後の足音がわずかに乱れたのが分かった。続けざまに、自分は言った。
「毎日、来ていたんですか」
間があった。走りながら返すには、それは長すぎる沈黙だった。
「ああ。最初は、君の後ろ姿を見かけてからだ」
静かな返事だった。誰かに聞かせるためのものではなく、この朝焼けの中でだけ許される声。
「そうですか」
自分は何も付け足さなかった。それで充分だった。二人の呼吸が、また同じリズムに戻る。足音が重なり、やがて区別がつかなくなる。
もう来るはずだ。他の学生たちが。日常が。だがそれでいい。朝焼けの中で、一人だけだと思っていた時間が、実は二人で作られていたことを知ったのなら。それで十分だ。
東の空が金色に変わり始める。運動場の端では、誰かが準備を始めているのが見える。音が聞こえ始める。他の足音が、多数の声が、静寂を侵し始める。
自分たちは走り続けた。同じペースで。同じ呼吸で。もう、一人ではない朝練のために。
(完)
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