第3話
音の層
目覚ましが鳴っていたことに気づくのに数秒かかった。いつもなら、その音で心臓が跳ね上がる。だが今朝は違った。環境音の中から徐々に意識が浮上してくるような、そんな感覚だった。
イヤホンを外すと、部屋は静寂に包まれた。窓の外はまだ薄暗い。いつもより三十分早く目が覚めているはずなのに、体は重くない。むしろ、起き上がるのが苦ではなかった。
鏡の前で自分の顔を見た。目の下のくまは相変わらずだが、昨日ほどの疲弊感がない。これは枕か、環境音か、それとも両方か。あるいは、気のせいか。
職場では同僚の言葉が頭に残っていた。「最近流行ってる」という一言だ。そこまで多くの人が睡眠環境に目を向けているということなのか。自分は これまで、寝ることを特別に工夫する対象だとは思わなかった。疲れたら寝る。朝になったら起きる。ただそれだけだと思っていた。
昼、スマートフォンで調べていると、思いがけない情報が目に入った。環境音だけでなく、室温、照度、さらには入浴のタイミングまで、睡眠に関わる要素は枚挙にいとまがない。
深く考えたこともなかった。これまで自分の睡眠は「運」のようなものだと感じていた。夜中に目が覚めるのも、朝起きられないのも、体が重いのも、すべて仕方がないものだと。
しかし、隣人は違っていた。意図的に自分の眠りを調整しようとしていた。そしてそれが、自分にも影響を与えていた。
帰宅後、再びスマートフォンを手にした。今度は室温について調べてみようか。エアコンの設定温度を見直してみようか。試すべきことが、次々と頭に浮かぶ。
でも、焦ってはいけない。昨夜の眠りがすべてを変えたわけではないだろう。ただ、可能性が見えただけだ。小さな工夫が、本当に人生を変えるのか。それをこれから、ゆっくり確かめていくのだ。
その夜、環境音を再生する前に、エアコンを二度下げてみた。
続きはまもなく
目次