第4話
造形者と造形物の距離
相談者が送った長いメッセージを読み終わったとき、私は一つの仮説に行き当たっていた。
そのキャラクターが「暴走した」と感じられたのは、作者の予想を超えて動いたからではなく、むしろ作者自身が無意識のうちに仕込んだ矛盾や葛藤が、論理的な整合性を求めて、意外な形で解放されたのではないか。
つまり、キャラクターは作者の想定外ではなく、作者が気づかなかった自分自身の一部を映していたのではないか。
私はそう相談者に伝えた。ただし、疑問形で。「もしかして、そのキャラの行動に、ご自身の何か——無意識の部分を見ているのではありませんか」と。
返信は、さらに興味深かった。
相談者は認めていた。その通りだと。自分が造形中に「こんな性格ではおかしい」と理屈で押さえ込もうとしていた部分が、キャラクターの行動として浮上してきたのだと。つまり、自分が許していない感情や欲求を、キャラクターに代わりに表現させていたのだと。
その気付きの先に、相談者は別の問いを投げてきた。
「では、キャラクター造形とは、結局のところ、自分自身との対話なのですか」と。
それは、私自身が長く問い続けてきた問いでもあった。だが、ここまで明確な形で問われると、私の中で何かが揺らぎ始めた。
なぜなら、もしそれが真実だとすれば——私がSNSで発信してきた「理論」とは何だったのか。キャラクター造形の「正解」を求めるフォロワーたちに、私は何を教えてきたのか。
そして、より不安なのは、この相談者だけではなく、他にも同じような「暴走」を経験している人がいるのではないか、ということだった。
そもそも、相談者がなぜ「怖い」と感じたのか。それは、自分の内側を見つめることの恐ろしさなのではないか。
キーボードの前で、私の手は再び止まった。
続きはまもなく
目次