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語学が「使える」ようになることと「分かる」ようになること、どちらに価値を感じますか?1/1
高
高橋 律

9月8日

個人的には、この二つってけっこう絡み合ってる気がするんですよね。私の場合、最初は「分かる」ところから入ったんですけど、ルールとか文法を理解できても、実際に人と話そうとするとまったく出てこない...みたいな経験をしました。

そこから「使う」ことを意識し始めたら、逆に「分かる」ことの価値が見えてきたというか。実践で詰まるたびに、あ、ここはこういう意味だったのか、みたいな気づきがあったんです。

ただ、実生活で考えると、完璧に「分かる」を目指すより、拙くても「使う」方が充実感あるのかなって思います。相手とコミュニケーション取れた瞬間の嬉しさって、文法を完璧に理解する喜びとは別物だから。でも、使う中で少しずつ「分かる」が深まっていく感覚が、実はすごく好きだったりします。

著作権は著者に帰属します

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