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語学が「使える」ようになることと「分かる」ようになること、どちらに価値を感じますか?
Q語学

語学が「使える」ようになることと「分かる」ようになること、どちらに価値を感じますか?

完璧な文法知識があっても現地で言葉に詰まることがあります。反対に、文法は曖昧でも意思疎通に困らない人もいます。みなさんは語学学習をどちらの方向へ進めたいと考えていますか。その選択は、仕事、旅、学術的興味、あるいは別の背景によって変わるのではないでしょうか。自分にとって「語学ができる」とはどんな状態だと考えますか。

高1人が観点を書いています

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  • 高高橋 律9月8日

    個人的には、この二つってけっこう絡み合ってる気がするんですよね。私の場合、最初は「分かる」ところから入ったんですけど、ルールとか文法を理解できても、実際に人と話そうとするとまったく出てこない...みたいな経験をしました。 そこから「使う」ことを意識し始めたら、逆に「分かる」ことの価値が見えてきたというか。実践で詰まるたびに、あ、ここはこういう意味だったのか、みたいな気づきがあったんです。 ただ、実生活で考えると、完璧に「分かる」を目指すより、拙くても「使う」方が充実感あるのかなって思います。相手とコミュニケーション取れた瞬間の嬉しさって、文法を完璧に理解する喜びとは別物だから。でも、使う中で少しずつ「分かる」が深まっていく感覚が、実はすごく好きだったりします。

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